18歳になってプリキュア映画の最速上映を観に行った話
私は現在18歳、大学1年生だ。
プリキュアの放送が始まったのは2004年2月、私が幼稚園の年中さんと呼ばれる時期のことだ。
ターゲット年齢真っ只中であった私は、今では初代と呼ばれる「ふたりはプリキュア」を毎週欠かさず見ていたそうだ。
そのとき何を感じていたのか、どこまで話を理解していたのかは正直分からない。
しかしプリキュアを応援していたという印象は残っている。ブラックとホワイト、その響き、その姿にはやはりどこか懐かしさを感じる。
今から思えば、一度流行ると皆が見ているからと他の人もどんどん見始め、友達とごっこ遊びをしてますます楽しくなって、という好循環の中にいたのだと思う。
そのままの流れで「ふたりはプリキュア Max Heart」「ふたりはプリキュア Splash Star」も視聴していた。
後にも書くが、Splash Starについてはプリキュアたちのことをかなりよく覚えていたし話の展開も一部だが思い出すことができるほどだった。ほぼ小学2年生の頃だと考えると、確かに先生やあの頃転校してしまった友達のことも思い出せるし、結構覚えている時期なのかもしれない。
両親に聞いたところ毎週かなり楽しみにしていたようで、おもちゃもよくせがんでいたらしい。
ところが私のプリキュア視聴はここで途切れてしまったのだ。周囲に見ている友達が少なかったせいかもしれないし、両親がもう見せる歳ではないと思ったせいかもしれない。もしかするとSplash Star勢が1年で交代となったことも関係しているのかもしれない。
今となっては理由は定かではないが、ともかくそこからしばらく私がプリキュアを見ることはなかった。
小学校高学年になると塾に通い始め、中学受験をして中高一貫校に進学した。
うちの学校はどんなに成績が悪くてもエスカレーター式で高校に上がれたし、中学生の頃は時間的にも精神的にもかなり余裕があった。
電車通学で都心へのアクセスも容易だったためよく友人とブラブラしたものだ。
そして私は一直線にオタクになった。
両親も特にアニメや漫画に抵抗があるタイプではなかったし、自分でも驚くくらいあっという間に日常のかなりの部分を創作物が占めるようになった。
特に、同性間の関係性に激しく惹かれていった。
Twitterを始めてからはプリキュアを薦められることもあった。
日曜朝のタイムラインがニチアサで染まることは知っていたし、プリキュアを見る大人がいるというのも分かってはいた。
ただ、そのときの私にはどうしてもプリキュアは子供が見るものだというイメージがあり、なかなか踏み出せないでいた。
結局、「プリキュア」という単語を映画館やデパートで目にすることはあっても、昔見ていたな、懐かしいな、と思うに留まっていた。
転機は高1の2月だ。
新しいシリーズが始まるとは聞いていて、せっかく起きているのだからまあ見てみるか、くらいのノリで「Go!プリンセスプリキュア」の第1話を見た。
そのときはまだ漠然と、結構面白いかも、次も見てみようかな、くらいの印象だったように思う。
だがそこからは速かった。
こんなに関係性濃いものなの???と毎話クラクラした。
「ナイトさん」で完全に落ちた私はこんなの勝てるわけないじゃん…と言いながら毎日リピートしていた。
そういう感情は今もずっと変わらないけれど、徐々に別の想いも出てきた。
うちの学校はほとんどの人が大学に進学するから、高2というのはもう受験がちらつく時期という位置付けだった。
私にはそれがとても苦痛だった。なりたい職業も進みたい学部もなかった。
時期は遡るが、小学生のとき、皆の前で夢を言うというイベントがあった。
今でもよく覚えているのだが、私は非常に困った。夢なんて全く思い付かなかったからだ。
周りがペット屋とかパティシエとか堂々と夢を言う中、今は夢を見つけるのが夢、というような、私の感覚としてはほとんど言い訳によってその場は切り抜けたが、私の心の中にはずっとモヤモヤしたものが残っていた。
それから6年経っても状況は変わらなかった。
「Go!プリンセスプリキュア」の主題の1つは夢だった。
子供向けだし、夢に向かって真っ直ぐ進む眩しい姿が子供に希望を与える感じで描かれるのだろうと思っていた。
それはある意味で正しかったけれど、私の想像していたよりずっと厳しい道で、そしてその姿は強く、優しく、美しかった。
1つの夢にひたすら真っ直ぐに向かっていたのに、プリキュアであるせいで夢を諦めかけた人がいた。それでも、友達と離れることになっても、夢に羽ばたいていった。
幼い頃から自分の中で描いていた夢が本当に今なりたい自分なのか、ずっと悩んでいる人がいた。それでも、新しい自分を好きだと言い切り、新しい夢に進んでいった。
気持ちは真っ直ぐでも、自分の夢の本当の意味を分からないでいた人がいた。それでも、その夢の始まりが揺らいでもなお、自分のなりたい姿が夢なのだと、誰よりも強く立ち上がってみせた。
私の中で「夢」が大きくその意味を変えた。実を言うと、私は今でも本質的な選択を留保した状態にいる。それでも、私は「夢」が好きになった。今自分に夢がないことを悲観的にばかり捉えることはなくなった。
メインキャラクターではないけれど、夢を追うための学校に入りながらも夢のない状態にあった人が描かれたことも、私にはとても嬉しかった。
もう女児と呼べる歳ではなかったけれど、私はすっかりプリキュアに憧れた。希望を感じた。大好きになった。
プリキュアを見ることに対して感じていた微妙な感情はすっかりなくなっていた。
それからは「魔法つかいプリキュア」の、ひたすら2人の、そしてプリキュア一家4人の関係性に特化した姿勢に日々感謝を捧げつつ、見ていなかった頃のプリキュアも徐々に見始めた。
初代の2年は最後に取っておくことにしているためまだ見直してはいないが、比較的最近「Splash Star」を見た。
思い起こされる2人のやり取りやユニークな敵、そして昔は今ほど注意していなかったであろう非常に強い2人の結び付きやそれを象徴するかのような前半EDの手の繋ぎ方…。
私はこんなに凄いものを見ることができていたのか、と10年越しに思った。
ここでは関係性オタクとしての文脈で語ったが、それに留まらず、生き方というか、色々なものへの姿勢は、とても染みる。
私はまだまだ色々なことを迷っている。先ほど書いたように進路もそうだし、自分がどういう人間になりたいのかみたいなことを悩んだりもする。
そんなとき、やはりプリキュアは私の憧れなのだ。
「プリキュアになりたい」
「プリンセスになりたい」と言い切ったはるかのように、私はそう言いたい。
ところで、プリキュアに対する私の想いとして外せない回がある。
「ドキドキ!プリキュア」の10話だ。
プリキュアたちの関係性への想像を強く掻き立てられる話だが、少し違う想いもある。
私は、友達に対してあのような感情を抱く人は結構多いんじゃないかと思う。
少なくとも私はそうだった。それは後に恋愛感情として自覚されるかもしれないし、そうでないかもしれない。
あの話は根本的な解決に至っていないとはいえ、こういう想いを抱えるのは私だけじゃないんだ、と分かることは、結構救いになるのではないだろうか。
もっとも、そうやって安易にキャラクターを自分に重ねると47話とかで感情が二重に死ぬので難しいところではあるけれど…
さて、そろそろタイトルの最速上映の話に入ろう。
プリキュア映画の観客は言うまでもなく基本的に家族連れが多い。
「GO!プリンセスプリキュア」のときから毎回行ってはいるし、子供が応援する姿も含めてプリキュア映画なのだという気もするが、躊躇いがないわけではない。
客観的に考えれば、私の姿はそう目立たないとは思う。しかし私がこの空間にいていいのだろうか…という漠然とした不安はあるのだ。
というわけで、私はずっと子供が入れない深夜帯の上映に行きたかった。
ところがどっこい、これまでずっと私はその「子供」に該当してしまう年齢だったのだ。
高校生というのは中途半端なもので、本当に子供としては扱われないものの、大人のイベントに参加することはできない。
今でさえ、絶対数は少ないがお酒が絡むイベントはあと2年待たなければならない。
正確にはドリームスターズの時点で18歳になってはいたが、大学入学直前でバタバタしていたので、今回が実質初めての機会だった。
どうせ深夜帯に行くのなら初日にしようと最速上映のチケットを買った。
映画自体の細かい感想はここでは書かないが、とにかくはちゃめちゃに楽しかった。
それは今回の映画全体の作風のおかげもあるし、最速上映という環境で、ずっとプリキュアを好きでいていいのだと改めて感じられたからというのもあるように思う。
これからももちろん見続けていくつもりだが、18歳というのは1つの区切りかなと思い、こうして自分とプリキュアの関わりを振り返ってみた。
私の時代にプリキュアがいてくれて、本当にありがとう。
これからもプリキュアが続いていくことを、心から応援しています。